みなさんは人生一度や二度ぐらい(いや、もっとか)生きている意味や人生の目的を考えたことがあると思います。
私も数えきれないくらい考えたことがあります。
それぐらい生きる意味や人生の目的というのは、人を惹き付けるということでしょう。
でも、実は生きている意味、人生の目的を考えないで生きるほうが幸せに生きることができます。
なので生きる意味・人生の目的を考えないほうが幸せになる理由を書くと同時に、いかに生きている意味、人生の目的を考えるのがムダであるかも書いていきます。
目次
生きる意味・人生の目的を考えなくなると幸せになれる理由
今やるべきことに集中することができる
私たちは、今やるべきことに集中しなければいけません。学生や受験生であれば定期テストの勉強であったり、受験勉強であったり。
社会人であれば目の前の仕事です。
生きる意味や人生の目的は今考えなければいけないことでしょうか?今考えなくていもいい問題なのに、私たちは勉強や仕事などにいきづまると、ついついそのような高尚なことを考えてしまいがちです。
そのような今気にする必要のない問題なんて考える必要ありません。
人生の意味や目的、そういう問題を考えることをやめれば、勉強や仕事に集中することができるようになります。
勉強や仕事に集中して取り組むと、学生であれば学力が上がりますし、社会人であれば、仕事のスキルを高めることができます。
学力が上がると当然志望校に合格することができる可能性が高くなりますし、仕事のスキルが高まれば、日々の仕事がラクになったり、昇進や給料アップ、はたまた優良企業に転職が成功したり、独立したりするという選択肢だってできるでしょう。
そう、今やるべきことに集中することができれば将来明るくなります。
逆に生きる意味や人生の目的なんてうだうだ考えていたら、受験生の学力は急降下してしまいます。社会人なら仕事のスキルは全く上がらない、従順な社畜になってしまいます。
生きる意味や人生の目的について考えることは一見すると重要そうに見えますが、その実、私たちにとっては考える必要のない問題なのです。
というかそもそもこんなくだらないこと考えるのは人間ぐらいです。だから人生がイヤになるのではないのでしょうか。
生きる意味や人生の目的について考えるのがムダな理由
答えがない
なぜ私たちが生きているのかなんてそんなの誰にもわかりません。人生の目的だってそんなんわかりません。
模範解答がないんです。
模範解答がない問題をあーだこーだ考えたところで時間の浪費にしかなりません。それに生きる意味・人生の目的とかあまりにもスケールが大きすぎます。
模範解答がないこと、問題のスケール自体があまりにも大きいことから、いくら考えてもどうしようもないんです。
たまにインチキな宗教家が生きる意味や人生の目的について説きますが、インチキなので参考になりません。
まあそれでも一応は宗教ごとに生きる意味や人生の目的についての考えのようなものはあります。
でも、それが全て正しいかどうかはわかりません。
結局、答えを知っているのは神だけなんです。神さましか知らないことを愚かな人間が考えたところで答えは出ません。
答えのない問題についてあれやこれや考えるのはやめましょう。
精神が病む
率直に言いますが、人生についてあれやこれや考えていたら精神が病みます。既に述べましたが、生きる意味や人生の目的について考えるとか明らかにスケールが大きすぎます。
スケールが大きい上に明確な答えがない。
そんな問題を考えていたらマジで精神病みます。人間にとってそのような問題を考えるのはキャパオーバーです。
本来私たちには他にしなければならないことがあります。そのことに集中すべきです。
生きる意味や人生の目的を考えてしまう瞬間
暇な時
暇な時間ができてしまうと、どうしてもくだらない考えが私たちの頭を支配します。このことについては昨日のブログでも書きました。
で、暇だとやることがないので、必然的に「生きるとは?」、「人生とは?」について考えることになってしまいます。
するとどうでしょう。そんなこと考えている自分が嫌で嫌で仕方がなくなってしまいます。
ただでさえ、暇で自暴自棄になりかけているのに、そのような現実に拍車をかけてしまいます。
んで、ますます考え込んでしまい「デフレスパイラル」に陥ってしまいます。その結果、自分の人生の景気が悪化していきます。
まさにデフレスパイラル。
さしてすごくもない人間が高尚なことを考えることほど滑稽なことはないです。
極端に忙しい時
極端に忙しいというのも人によって度合いがマチマチだと思いますが、残業をしまくって休日出勤をしまくって、パワハラ上司に脅かされ、満員電車でムカつく日々を送っていたら基本人は病みます。
それでも平気な人は単にdomesticateされているだけです。国家の奴隷になり下がっているということを認識しておきまっしょい。
まあ話が若干それてしまったので戻しますが、極端に忙しいと精神病むのでこれもまた必然的に「生きるとは?」、「人生とは?」について考えることになります。
満員電車の中で、駆け込み乗車をする中で、ブラックカンパニーの中で、上司にパワハラされている中で、飛び込み営業をしている中で、肩身の狭い冷戦状態の家庭の中で、とにかく「生きるとは?」、「人生とは?」について思いを巡らせることになります。
でも普段勉強してないわけですから(日本の社会人の一日の平均勉強時間は6~7分だそうです)、考える力なんてありません。
考える力がないのに、「生きるとは?」、「人生とは?」について考えるとかマジで滑稽です。
そういう人はぜひMr.Childrenの『彩り』を聴きまくりましょう。
なんか意味がわからなくなりましたが、極端に忙しいこともまた、生きる意味・人生の目的について考えてしまうことになってしまいます。
何事も適度が良いということです。
まとめ
生きる意味、人生の目的などはたまに考えるぶんには全く問題はないと思います。というか、一切考えずにいるとそれはそれで人生不健全になるように感じます。
しかし、基本的には、あまりそういう問題は考えず、今やるべきことに集中すべきです。
何度も言いますが、今やるべきことに集中するほうが、後々の人生は幸せになります。
考えても答えが出ないような問題は神様に任せましょう。それがベストな判断です。