幸せな時って、幸せだと気付かない。
私は最近そう感じました。幸せな時って自分がどんなに恵まれているのかわからないんですよね…。
今日は目次の項目を作らないで書きます。
では本題。
今思うと、大学生の時は本当に幸せでした。大学の時の友人は面白くて、頭が良くて、コミュ力の高い人が多く、毎日が楽しかったです。大学の授業も自分の興味関心のあること(英語、英米文学、言語学など)を学べて、勉強面も非常に充実していました。
旅行にも行きましたし、飲みにも行きました。マジで幸せでした。
でも、その当時は幸せだと感じなかった。やや不謹慎な言い方かもしれませんが、そういう恵まれた生活が当然のことだと思っていたんですよね。
恵まれた人間関係、恵まれた学習環境、全てが当然のものだと思っていた。
幸せなことが当たり前だと思っていた。
でも、社会人になって、大学生の時は本当に幸せだったと気付きました。社会人になると自宅と職場の往復が生活の中心になり、人間関係も大学の時のように本音で話せたり、バカ話をできるような人もいなくなりました。
今までの色鮮やかな生活が急にモノトーンになったんですよね。
毎日が普通に過ぎていく。何も目新しいことがない。大学生の時も確かに毎日普通に過ぎていったし、何も目新しいことはなかった。それでも社会人の生活とは違い、色鮮やかな毎日だった。
矛盾しているかもしれませんが、本当にそうとしか表現できないです。変わりない生活ではあるんですが、毎日友達とくだらない話をすることが本当に楽しくて、全く単調さというのがなかったんですよね。
モノトーンな生活、つまり何の変哲もない生活を毎日送っていると、どうしてもストレスがたまっていきます。その結果、つい日常生活におけるイヤなところが目につくようになります。
駅に溢れる人人人、遅延しまくる電車、「なんでそんな焦っているの!?」っていうぐらい朝っぱらから切羽つまりまくっているビジネスパーソン(私ではないですよ!?)。
そういうのを目にしているとマジで精神に悪影響が生じます。
そういうストレスの多い生活を送っていてふと気づくんです。
「あ、俺、大学生の時は本当に恵まれていたんだな…。本当に幸せだったんだな…」と。
幸せな生活を離れて初めてその時幸せだったとわかるんですよね…。
人生がうまくいき、充実しすぎた生活を送ると、大事なことに気がつかなくなることがあります。
今幸せな人はそれを当然のことだと思わないでほしいのです。それを当然だと思っていると、生活環境が変わった時に絶望する可能性が高いです。
幸せな時は、幸せだと気づかない。
以上。今日は目次なしで書きましたー。