Sakuはゆるく生きる

外国語系の記事が多くなりそうです。

もしニートを日本から排除したら社会はどうなるのか?

 もしニートを排除したらどうなるか?

 

 考えてみると非常に面白い。

 

 いつの時代もニートはいるもので、決していなくなることはない。無論そのニートのおかげで社会に生きずらさを感じる人たちが救われている。

 

 ニートは批判の対象でありながら、いなくてはならない存在なのだ。もしそのニートを社会から排除したらどうなるか?

 

 考えていこう。

 

 その前にまずざっくりした条件を設定してみよう(細かい条件設定をするといろいろ矛盾が出てくるのでざっくりと)

 

 ・とりあえず働かないという選択肢はない

 ・どこかの組織に所属して働かなければならない

 ・就職先はハロワやリクナビを使えば100%斡旋してくれる

 

 まあざっくりこんな感じに条件を設定したうえで考えていこう。

 

 (起業とかフリーランスとかはどうなるの?と考える人もいると思うが、それを考え出すと、色々ややこしくなるのでここでは考えないよん♪)

 

 

 

多様性がなくなり画一的な人間が増える

 働く以外に生きる選択肢がないというのだから、当然多様性はなくなるだろう

 

 みんな働くのが「当たり前!!!」という思考になるのだから、つまらない人間ばかりになる。

 

 「働いたら負け(キリッ)」

 

 みたいな発言をする人がゼロになるのだからもうリアル「サイレントマジョリティー」(サイマジョ好きだなオイ)の世界になる。

 

 街行く人はみなスーツで同じ思考を持ち、同じ思想を持ち、同じ服装(つまりスーツ)の人間だらけになる

 

 電車に乗れば指示したわけでもないのに、みんな同じ行動を取る。

 

 イラついた顔でスマホをいじる(人によってはエ〇ゲでほほ笑む)、眉間にしわを寄せて新聞を読む。

 

 高校生や大学生が絶望的表情を浮かべ彼ら彼女らの行動に視線を向ける。

 

 考えてみるとこわ!!いやこわ!!!怖すぎるわ!!!

 

 生き方に多様性がなくなるということはこうも恐ろしくなるのか、、、

 

 現に似たような社会になっているのにニートを排除すると「サイレントマジョリティー」が決定的な社会になる。

 

 ニートというのは最後の砦なのかもしれない。ニートがいるおかげでまだましな社会になっているのだ。

 

 多様性を排除すると、私たちが思っている以上に恐ろしいことが起きる、と言えよう。

 

 たぶん余裕がなくなり、笑顔が消え、この社会は色褪せて、単調な世界になり、私たちは人間ロボットとなるだろう

 

 

 「一億総活躍社会」「働き方改革」、これらが高度に進んだ果てで待ち受けるものは絶望、、、かもしれない。

 

生きずらさを感じる人が大量発生し、自殺する人が大量発生する

 働く以外に選択肢がない、ということほど恐ろしいものはない。

 

 働くというのは想像以上にストレスが溜まる。

 

 いや、別に仕事さえやればいい、それ以外のことは考えなくていい(出勤とか労働時間とか人間関係とか)なら、人によってはなんとかなるかもしれない。

 

 でも、組織に所属して働くということは人間関係や労働時間、全てを考慮にいれなければならない。

 

 たぶんこれがしんどくて働けないという人も一定数いるかもしれない。

 

 大丈夫。私もそういう人間だ。通勤、スーツ、人間関係、すべてが鬱陶しい。

 

 でも働かないという選択肢があれば、そういう辛いことから避けることができる

 

 無職の経験をすることでもしかしたら今まで自分でも知らなかった自分が見つかるかもしれない。

 

 無職期間にブログを書きまくっていたら、楽しくなってあっという間に1000記事書けたとか、読書に熱中しているうちになぜか文才が芽生え作家になったとか、いろんな出来事が起きる。

 

 他にもインスタをやりまくっていたら才能が開花しファッションの仕事とかができるようになるかもしれない。

 

 それによって拠り所を見つけ、人生が良くなっていくかもしれない。

 

 でも組織で働く以外許さない、無職でしかもそんなことをやるなんて言語道断だ!みたいな社会になればどうなるか

 

 もう生きる気が失せるだろう。毎日毎日同じことの繰り返しでやりたくもないことをやらされ、人間関係でストレスがたまり、生きることが苦しい日々。

 

 そこから抜け出せないとなると、もう取るべき行動は一つしかない。

 

 自殺

 

 生きることの辛さに耐えられず「精一杯の勇気を振り絞り」、ビルや電車に飛び込む人が後を絶たなくなる。

 

 生き方を強要されるほど辛いことはない

 

 あらゆることが重荷となって最終的に不幸な事態を招いてしまう。

 

 こうしてブログを書いている時もきっと日本のどこかで命を絶っている人がいると思うと、ホントに心苦しくなってしまうのだが。

 

 働くことを強要することは人から人生の逃げ道を奪い取り、果ては命をも奪い取る

 

 このことの危険性を私たちは強く認識すべきだと思うんだ。

 

 

 世の中には組織で働くことが向いていない人が一定数いる。そういう人もいるのに「働け!」とゲキを飛ばすのは全く見当違いなのである。

 

みんなキレやすくなり犯罪や争い事が増える

 心に余裕がなくなると他人を気遣う余裕がなくなる。

 

 というか都会ってもうそういう段階に来ているんじゃいか

 

 学生とかはあまりギスギスしてないが、ビジネスパーソンとかはもう殺気に満ちている。

 

 それがこういう客を生み出しているんじゃないか。

 

www.penserblog.net

 

 というのは半分冗談だけど(いや80%本気

 

 ずっと働き続けるってほんとストレスがたまる。

 

 そうやって同じ生活でストレスが溜まっていたら自然と自分のことしか考えれらなくなる。

 

 満員電車とかもう殺気が充満していることは言うまでもない。

 

 いかに自分のストレスを軽減するか。そのことばかり考える。

 

 でもそれが結局できない。結果周りの人間にイラつく。

 

 「背負いリュックが迷惑行為」というのも働き方を強要された人間たちの末路だろう。

 

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 たかがこんなことが迷惑になるぐらい、私たちの心は荒んでいるということだ。

 

 今の段階でこうだということは「ニートを排除」したらもう殴りあいとかになるんじゃないか。

 

 で、ニュースとかで「車内の乗客が殴り合って電車が遅延」みたいなことになって今以上に電車が遅延する、ということも起こるかもしれない。

 

 人とすれ違ってはにらみ合い、ぶつかっては殴り合い、日本は暴力が絶えない国になってしまう。

 

 ストレスがたまったら休めばいいだけ。本当に辛かったらいったん仕事を辞めてリフレッシュすればいい。

 

 それをすることができるのがニートである

 

 日本人は「疲れたら休む」という当たり前のことを忘れている気がする

 

 別にそれは何ら悪いことではないのに、「休まないことが当たり前。逃げるなんて怪しからん」みたいな考えを持っている人がかなり多いように私は思える。

 

 その点ニートの人とかはそのことの重要性がわかっている。だから彼ら彼女らの中で荒々しい人はあまりいない。

 

 (無職期間が長すぎて人と一切関わっていない人が犯罪を起こす事件はたまにあるが)

 

 そういうニートな生き方を排除してしまえばもう他人に気を遣うことなんて忘れ、感情が常に利己的になる

 

 利己的になった人間が多数になると、起きるのは足の引っ張り合いである。いかに自分にストレスがなく、得をするか、そのためにいかに他の人間の足を引っ張るか、そういうことを考える人間が溢れかえるだろう。

 

 ニートを排除した先にあるのは荒廃した社会である

 

 

 考えるとこえぇぇ、、、、、