Sakuはゆるく生きる

基本なんでも。

「就活の履歴書は手書きじゃないと誠意が伝わらない」それ、間違いなく老害です。

 私、就活とか転職活動中は就活の対策本なるものを一切買わなかったんですよ。

 なぜ買わなかったかというと、社畜の価値観に支配されるのが嫌だったこと、というのはもちろんあります。が、何よりもそういう本に書かれていることがあまりにも馬鹿げていて買う気すら起きなかったんですよ。

 

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 例えば、「最近読んで感動した本は何か?」という質問が面接官からされたとします。

 で、「村上春樹の『ノルウェイの森です』」(確かノルウェイの森だった。もしかしたらIQ84だったかも)と答えるとする。

 でもそれはNGな解答らしいです(実際にその就活本に書かれていた)。

 その理由は、

 ・志願者がどれくらい働く意欲があるのかがわからない

 ・どれくらい会社に興味を持っているのかがわからない

 ・どういう仕事が得意なのか見えてこない

 ということらしいです。

 

 模範解答

 「オンシャの○○社長の『勤労の美徳とは?』です!(そんな本は存在しませんが…)」

 らしいです。理由は自分の会社に興味を持っていること、企業理念をしっかり調べていることがわかるから(確かそういう理由。立ち読みだからあまり覚えていない)だそう。

 村上春樹の本がダメで、オンシャの○○社長の著書がおkとか、そんなんで選考通る会社とかこっちからムリゲーです。

 アナーキーマルキスト(ハルキストとかけているわけではない)な私ならそんな面談途中で切り上げて、カラオケ行きます。もう就活の段階から従順な社畜を採用しようとする魂胆が見え見えじゃないですか…。

 

 でもそういう馬鹿げている本というのは恰好のブログネタにはなるので、買ってはいませんが結構立ち読みはしています。

 で、本題入ると、よくそういうク〇本には「就職活動の履歴書は手書きで書きましょう。手書きじゃないと誠意が伝わりません」というもうIT化というかグローバル社会に逆行するようなことが書かれています。

 でも一定数そういうデマゴーグを信じている人がいると思うので(特に心がピュアな大学生)、手書きの履歴書はダメ!ゼッタイ!という薬物禁止のキャンペーンみたいなことを今日は書きます。

 

目次

 

 

手書きの履歴書が老害な理由

IT化についていけない

 一つ目の理由はIT化についていけないことです。

 ITというのはIT企業だけでなく、色々な職種でも必要とされる知識でありスキルです。ということはPCもごく普通に使いこなせなければいけません。

 PCを使わない、あるいはスマホを使わない労働をしようとすると、無限ループで非効率な労働になります。となると社畜が三度の飯よりも大好きな残業をエブリデイするハメになります。

 非効率な労働が大好きな勤労の美徳オワコン国家ニッポンだけで生きていくならまだしも、世界中で働きたいと考えている人ならITに弱いというのは致命的です。

 インドやアメリカ、ヨーロッパ諸国などの人々からは「Oh........The Japanese are foolish economic animals!!!!」とdisられるでしょう。ちょんまげをいまだに信じている外国人が少数ながらいるらしいですが、気持ちわかります。

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 で、履歴書を手書きで書くか、パソコン(あるいはスマホ。私はスマホのアプリで作成しました)で作成するかは、ITリテラシーを高めるうえで(横文字多くてごめんなさい)重要な行為となります

 履歴書を手書きで書くというのは、コストはかかるけれども(何枚入りかの履歴書を買わなければいけない、一回書き間違ったらゲームオーバー)、ただ買って書けばいいだけの話なのでラクっちゃラクです。

 でもジャパニーズ手書きスピリットを選ぶと、パソコンに触れる時間が少なくなるので、ITリテラシーも身につきません。そういう精神のままでいざ社会人になると、「エクセルの数字入力はクソで手入力こそ勤労の美徳だ!」というエ〇サイトは積極的に見るくせに、パソコン操作に乏しいオッサンになってしまいます

 

 日本の労働環境は二種類の人間しかいません

 オッサンか、オッサン以外か

 

努力の意味をはき違える

 非効率なことをし続けて、報われる(就活の例だと採用通知)と、「努力は必ず報われる!」という幻覚を信じるようになります。

 就活の本に書かれている「手書きじゃないと誠意が伝わりません」という言葉を金科玉条のごとく大事にして信じて、就活をすると特に。

 就活とかは真面目にすると苦労も多くなりますから精神が病みます。そういう状況で「手書きじゃないとダメ!ゼッタイ!」を信じ続け報われると、「手書きが正しいんだ!」というかなりヤバいことになります。

 

 努力というのは正しい方向で圧倒的な量をこなしてこそ報われるものです

 これは受験勉強に限ったことではなく、人生全般に当てはまることです。

 もちろん100%報われるわけではないですが…

 

 でも就活の段階で「手書きこそ正義」という誤った努力を身につけると、その後の人生は不幸になること必須です。日本の就活、というよりかは社会全般ですが、「世の中に明確な正解などないんだ!」という欺瞞を邪悪な大人たちが言い放ち、正しい努力をなるべく認識させないようにします。

 そうすれば思考を放棄させることができるし、従順な労働者になってくれるからです。かくしてオッサンたちは自らの地位と権益を維持することができる。

 

 話が逸れましたが、非効率なことで報われると、努力の意味をはき違えるようになります。

 「パソコンなんていう『非人間化』をもたらす悪しきツールを使うのはダメなんだ!やっぱり手書きの方が人間らしさがあり、それが会社に伝わるんだ!効率なんてくそくらえ!」

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 こういうのは現代の社会情勢という点で言えば、明らかに間違った努力思想です。

 効率化を憎み、非効率を愛する。

 どう考えても努力の意味をはき違えています。

 こういう思想を持った人間が大量に産まれると、文明開化の音を消し、ザンギリアタマの時代へと回帰する事態となっていまいます。

 野球のアレじゃなくてマジで侍Japanになってしまいます。

 

 邪悪な大人の妄言を信じて、努力の意味をはき違えるようなことはあってはなりません。

 

時間と金の無駄

 当たり前体操です。

 手書きの履歴書を作成するとなると、履歴書の用紙を買わなければいけません。一回書き間違えたらオシマイです。また一からやり直しです。

 金はかかるし、間違えたらそこで試合終了ですし、どう考えても時間と金の無駄です。なんか当たり前すぎるのでこの程度でとどめておきます。

 

狂信的な手書き教の信者たちの妄言とそれに対する反論

 世のなかには手書きを絶対視する狂信的な手書き教信者が一定数います。

 そういう人たちが主張する意見とそれに対する反論を書いていきます。

 

手書きじゃないと誠意が伝わらん!!(激おこぷんぷん)

 これですよね。一番は。手書きじゃないと誠意が伝わらない。

 

 では私のopinion

 こういうことをいつまでも言っている老害は、レポートや論文を手書きで書けばいいんじゃないですか?

 大学のレポートってだいたい1500字程度じゃないですか。ってことは400字詰めの原稿用紙約4枚分。それを手書きとかマジでお疲れさまです。

 もう書くことそれ自体が修行ですよね。内容や構成を熟考することはできるんですかね?字を埋めることに意識がいってしまい、内容や構成面が考えられなくなります。

 

 論文だとどうなるか。

 論文(卒論とか)だと10000万字以上が標準だと思います。それを手書きとか教授くらいの人でもマジ卍無理でしょう。それを手書きで書いていたら社畜が三度のメシよりも大好きな残業をしても終わりません。

 

 もう手書きがどれほど愚かであるかはみなさんわかったでしょう。

 パソコンがあるおかげで文字数が多くなっても、内容や構成を意識して書くことができるんです。内容や構成を考えて書くから、それだけ良質な文章を作成することができる。

 それを「手書きじゃないから誠意が伝わらん!フンッ!」と激怒するのはアカデミズムに対する冒涜です。

 

 別にレポートや論文だけじゃないです。社会人が作成する企画書などもそうです。

 企画書はワードやエクセル、パワポをある程度活用できないと、良質なものはつくれません。もし手書き教の信者の言うようにバカ真面目に手書きで企画書なんかやったら、残業しても終わらないし、企画書のクオリティもダダ下がりです。

 

 学生でも社会人でもパソコンは必須なのにどうして就活の履歴書は手書きなのでしょうか。ただ単に考えない学生を採って従順な労働者に仕立て上げたいだけじゃないですか。

 

 

手書きの方が慣習的に印象が良い!

 乙。

 もう反論する気すらおきない。

 パピルスに文字でも書いとけ。 

ja.wikipedia.org

 

まとめ

 履歴書を手書きで書くのは老害です。

 

 以上