(この記事は以前書いたのですが、新しい記事として書き直しました)
就活において、学歴フィルターは大学名ではなく、出身高校名でふるいにかけたほうがいい、みたいな記事を以前読みました。
新卒採用では大学ではなく高校の偏差値を見るべき?地頭の良さ反映 - ライブドアニュース
その理由を見てみると、高校の偏差値が高い人のほうが地頭が良く、要領が良い傾向にあるから、だそうです。
大学は一般入試で入学する割合が低く(推薦やAO入試が多い)、偏差値の高い大学の割りに学力が低い人が多いことがよくあり、一方高校の場合は一般入試で入学する人の割合が高く、学力が担保されている傾向があるから、だそうな。
結論から言うと、私は学歴フィルターを高校名で判断するのは反対です。
以下その理由を書いていきます。
学歴フィルターを高校名で判断するのに反対である理由
人的資本が増えない=国の生産性が上がらない
反対の理由を述べる前にまず、人的資本の話からしていきます。
(とても重要な概念なので)
人的資本とは、教育によって人間の中に蓄積された知識や技能のことを言います。
勉強すると、その内容に関する知識や技能が身につきますよね?
それが人的資本です。
人的資本は学校での教育だけでなく、独学によって身につけた知識や技能も含まれます。
難関中学、高校に合格後もしっかりと勉強し、大学に進学し、進学した大学でも勉強した人は人的資本が高いと言えます。
人的資本を蓄えた人(多くの知識や技能を身につけた人)が社会に出ると、国全体の生産性が高くなることが考えられます。
人的資本を蓄えた人たちは、知識量、技術のスキルが高いので、質の高い製品やサービスを生みだすことができるからです。
そのようなことから、人的資本を蓄えた人が社会に出ると、国全体の生産性が高くなります。
一方、人的資本を蓄えなかった人(この記事では難関の中学受験高校受験で燃え尽き、その後地頭の良さ、要領の良さだけでMARCHに進学し、卒業後も要領と地頭の良さだけで生きている人とします)が社会に出ると、どうなるでしょうか。
彼らは、要領の良さ、地頭の良さで確かにそこそこに仕事はできるかもしれません。
しかし、人的資本のストック量が少ないので、国全体の生産性を高めることは非常に難しいと考えられます。
そうなると、質の高い商品やサービスを生みだすことはできないでしょう。
自分の業務は要領良くこなすでしょうが…。
したがって、「社会では地頭の良さ・要領の良さが大事。それがわかるのは出身高校。だから学歴フィルターは高校でかけるべきだ」という考えがまかり通ると、人々の人的資本が増えず、その結果、国全体の生産性が低くなってしまいます。
日本の低学歴社会に拍車をかける
日本は先進諸国と比べると、低学歴社会です。
(日本を先進国とみなすか否かはここでは置いといて…)
多くの先進国では取得する学位が高ければ高いほど、社会的に評価され待遇の良い会社に就職することができます。
学士よりも修士課程、修士課程よりも博士課程、海外ではそのように評価されます。
また、フランスではグランゼコールという大学とは異なる高等教育機関を設けて国のエリートを養成しています。
グランゼコール出身者は大卒の人よりもはるかに待遇の良い会社やポストに就くことができるそうです。
一方、日本は修士課程・博士課程よりもどこの大学を卒業したか、つまりどこの大学の学士を持っているかが社会的に評価されます。
地方の理系の国公立大学大学院で博士課程を取得した人と東京大学・京都大学を卒業した人では、後者(つまり東大や京大卒)が評価されます。日本の学歴社会では。
このように、ただでさえ、世界基準から見ると学歴社会に遅れを取っているのに、さらに「出身高校で学歴フィルターをかける」ということをしたらどうなるでしょうか。
低学歴社会に拍車をかけることはもちろんのこと、学術的なレベルも地に落ちる(堕ちる)でしょう。
加えて、既に述べた人的資本の観点からも生産性を下げることになってしまい、日本の会社や公務員の生産性が下がります。
学歴フィルターを出身大学名ではなく、出身高校でかけると、
低学歴社会が進む→世界に後れを取る→学術レベルが地に落ちる
人的資本をストックしない人間が社会に出る→国の生産性が下がる→サービスや商品の質が下がる
という何一つ良い結果を生まない事態となってしまいます。
学歴フィルターを高校でかけることよりも大事なこと
大学の成績を就職活動の判断材料にする
地頭の良さ、要領の良さを善なるものと考えたい「学歴フィルターは出身高校論者」にとっては気に食わない考えだと思いますが、大学の成績を就職活動の判断材料にしたほうがいいと思います。
そのことについては過去記事でも書きました。↓
そうすれば、企業もわざわざ学歴フィルターなんかかけずにどこの大学の学生であろうとフェアに評価することができます。
「学歴フィルターは『大学名ではなく出身高校で』」という以前にそもそも学歴フィルター自体をなくすことができます。
大学の成績を就活の判断材料にすると、会社側が、就活生が大学生活でどれだけ人的資本をストックしているかを理解することができます。
その学生が仮に中学受験、高校受験もし、大学に入学していると推測したら、その人的ストック量はかなりのものだと判断できます。
既に述べましたが、人的資本のストック量が多い人は、質の高い商品やサービスを生みだすことができると考えられるので、そのような人が会社に入ると、かなりの確率で会社で活躍することがわかります。
たとえ、高校が非進学校であっても、難関大学に進学し、さらに大学で成績を取れば、人的資本のストック量は多いことがわかります。
大学の成績を評価するのは、会社にとっては大きなメリットですよね。
一方、難関中学高校の受験で満足し、大学受験は持ち前の要領の良さ、地頭の良さでほどほどに勉強し、その高校のレベルからは低いとされる大学に進学した人がいるとしましょう。
そしてその人が大学進学後も持ち前の要領の良さ・地頭の良さで乗り切って適度な成績を取っていたとする。
そのような学生は中学受験、高校受験で真面目に勉強することをやめているので、人的資本のストック量が低いと考えられます。
大学進学後も要領の良さ、地頭の良さで乗り切っていたとしたら、人的資本のストック量はさらに低くなります。
このような学生を採用することは会社側にとってもデメリットです。
何度も述べましたが、人的資本のストック量が低いがゆえ、高い生産性を生みだすことができないから。
したがって学歴フィルターを出身高校で判断するのは、国・社会の生産性を生みだすという観点から考えると、デメリットでしかないのです。
まとめ
学歴フィルターを大学名ではなく出身高校でかけるようになると、
人的資本をストックしていない人間が社会に出て、国全体の生産性を下げてしまう
日本の低学歴社会に拍車がかかる
日本の低学歴社会に拍車がかかり、学術レベルが地に落ちる(堕ちる)
という色々と良くないことが起こります。
学歴フィルターを高校でかけるのではなく、大学での成績を就活の評価基準にすれば学生が大学時代に蓄積した人的資本のストック量がわかるので、採用する会社にとってもメリットになります。
以上です。
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