Sakuはゆるく生きる

外国語系の記事が多くなりそうです。

いつ会社を辞めるか

 いつ辞めるか?

 

 

 

 今でしょ!!!!!←古い?

 

 会社を辞めるタイミングに悩む人は多い。ネットの情報を見てもそりゃーもう本当に意見が分かれている。

 

 「まずは3年」という人もいれば「3年やれはまじ老害。辞めようと思ったらとっとと辞めるのがいい」という新進気鋭の人もいる。はたまた「3か月から半年は様子を見てみよう」という意見もある。

 

 私は別に就職の専門家でもないので、あまりあてになる意見を出すことはできないが、それでも誰かの参考になると信じて私なりの「会社をいつ辞めるか」という考えに対するスタンスを書いていく。

 

 

 

「いつ辞めるか」というのは人生の本質ではない

 のっけから結論を言うが、いつ辞めるのかなんてそもそも重要なことではない

 

 3年で辞めようと1年で辞めようと半年で辞めようと3か月で辞めようと1日で辞めようとぶっちゃけどうでもいい。

 

 よく就職先を紹介してくれるエージェントの人とかは「すぐに辞めると職歴に傷がつく」というような脅しをかけてくるが、別に職歴に傷がつくだけであって物理的・精神的に傷がつくわけではない。ナーバスな人なら精神的に傷がつくかもしれないが。

 

 つまりすぐに会社を辞めたところで死ぬわけでも人生終わるわけでもない。考えてみれば当然のことである。ということで考えてみよう笑。

 

 会社を辞めたところでいきなり心肺停止するだろうか。収入が途絶えた瞬間あなたの心臓は止まるだろうか。預金残高がゼロになって死亡することなんてあるだろうか(憤死する人がいるかもしれないが例外すぎるので参考にはしない)。

 

 もしそうであるなら今この瞬間私はブログを書けていない。というか私という存在が滅失しているはずである(表現が哲学っぽい)。

 

 私は会社を辞めても今フツウに生きているし、現在一時的に実家に帰り惰眠をむさぼりながらブログを書いている。だから更新が若干滞っているのだが。

 

 そう、あなた(私も)が会社を辞めたところで人生なんてびくともしない。相変わらず地球はまわり続けるし、ちゃんと朝が来て夜が来る。世界で紛争はなくならないし、政治家や官僚は相も変わらず国民を愚弄し続ける日々である。

 

 

 あなたが会社を辞めたところであなたの人生、この社会、この世界はびくともしない。会社を辞めることなんてちっぽけなことなのだ

 

 会社を辞めてもあなたの人生は続いていくということを忘れてはいけない。

 

「石の上にも3年」という思考停止

 なぜ簡単に会社を辞められないかといえば、結局意味不明な世間の「常識」に支配されているからに過ぎない

 

 ・「まずは石の上にも3年だ!それすらも堪えられないようならビジネスパーソン失格である!!」

 

 ・「働き口を失って収入がなくなったら生きていけない」

 

 ・「組織を通じて成長し一人前の大人になっていく。だから働かないということは一人前になれないことを意味するよ」

 

 ・「レールを外れたら取り返しのつかないことになるよ」

 

 ざっと例を挙げるとこういう類いのものだ。このブログを読んでいる人も上記の例と言葉や表現は違えどもこのようなことを言われたり、聞いたことがあるはずだ。

 

 だがそれらが正しくないということは皆わかっているはずだ。現在はインターネットビジネスやフリーランスなどいろいろ稼ぐ手段はある。必ずしも会社や公務員にならなくても金自体は稼げるようになっている。それが生活費になるまではかなり時間がかかるが。

 

 それに企業に勤めていても年功序列などで給料は上がっていかない。というか年功序列でもそんなに給料は上がっていかない。その割にパワハラ人間や劣悪な労働環境に耐えなければいけない。休暇だってとりずらい。

 

 

 そういう状況にも関わらず「石の上にも3年」という社会常識を無思考に信じていたら時間の損失、いや人生の損失が非常に大きい。

 

 私自身も実は「会社を辞めたい」と言ったら「とりあえず3年だね」と言われた。今辞めているということは私、3年も勤めていなんだな笑。

 

 というかこの「石の上にも3年論」を強く信奉する会社やビジネスパーソンに言いたいのだが、労働意欲がなかったり、会社の理念とミスマッチした会社員を引きとめて3年やらせるのって会社にとっても損失が大きいのではないか。

 

 そんな会社員を引きとめて働かせたところで結局まともな戦力にはならないことぐらい目に見えているだろう。そんな社員に人件費を投入したところで金の無駄である。ミスマッチしたとわかり次第(もちろん当該社員の合意の下)、辞めさせた方がいい。その方が会社の損失も当該社員の損失も最小限に防げる。

 

働くということを深刻に受け止めるべきではない

 今の時代、働くということを深刻に、真面目に考える必要はない。そのような真面目な人を「食い物」にして追いつめていることは、昨今の日本の過労死などの報道を見れば明らかだろう。

 

 そのような社会背景を考えれば仕事を深刻なものととらえるほうがばかばかしい。働くということはあくまでも人生における一要素に過ぎないのである。

 

 それに昔と今とで社会の環境が違う。昔は会社=人生で組織に所属することに大きな意義があったが、現在は組織に所属するということに対する重要性は薄れている。だからこそ転職する人が多いのだ。稼ぐということと組織に所属することは別物と考えていいのである。

 

 スキルや人脈なんてネットがあるのでいくらでも身につけられるし、形成できる。そのような状況でもあるので組織に所属すること、働くことは私たちの人生において実はプライオリティが高くなかったりするのだ。

 

 ただそれでも真面目であることは重要ではある。社会の信頼につながるからだ。イケないのは真面目で無思考でいることだ。無思考でいると搾取されつづけるだろうし、自分がおかしな状況にされされていることに気付くことができない。

 

 なので真面目でありながらもいろいろ考え、働くことを深刻には考えないことが今の時代重要になってくるだろう。

 

いつでも門は開かれている

 当たり前だが会社を辞めてもあなたの人生は続いていく。それで人生が終わるわけではないことは既に述べた。

 

 考えてみよう。会社を辞めてそれ以降人生何もイベントが起こらないということがあろうか。一生無職。飯なし。住居なし。人との関わり一切なし。こんなことありえないだろう。ありえないのにも関わらず、「そうなってしまう」という強迫観念をもってしまっている人があまりにも多いことか。

 

 だからこそこの根拠のない「迷信」につけこんでブラック企業が幅を利かせるのだが。

 

 そう、会社を辞めても何かしら稼ぐ手段はあるし、飯だって食えなくなることなんてないし、住む場所がなくなったりするわけではない(なければ実家に帰るなりしばらく知り合い宅で居候させてもらえばいい)。

 

 自然の摂理はあなたを見捨てたりはしない。あなたがどうにかなるように助けてくれる。それを忘れてはいけない。

 

 そのことによって新たな道が開けてくるのだ。世の中ってそんなもんである。もし会社を辞めて一生無職飯なし住居なしだったらホームレスであふれかえっているし、ばたばたとみんな死んでいくだろう。

 

 そんな恐ろしいことはこの国では起きてない。生活苦で国会の前でデモをする人はいるがせいぜいその程度である。助けを求めれば誰かが助けてくれるし、見捨てられるようなことはない。

 

 いつでも門は開かれているのだ